津曲敏郎

越境する野生

 札幌の住宅街で平然と家庭菜園を荒らすクマの姿には驚かされたが、当館のある網走市天都山でもときおりクマの目撃情報が入る。クマほどの直接の脅威ではないにしても、道路際でシカやキツネの姿を見ることは、道内なら珍しいことではない。本州ではアーバン・イノシシなる呼び方もあるそうだ。世界的にも北極圏の街なかをシロクマがうろついたり、インドでは家畜をトラが襲ったり、といった映像が流れている。言うまでもなく、人間の領域に野生動物が現れることは「豊かな」自然を反映しているわけではない。むしろ逆に、人間活動が自然を侵食した結果、野生が行き場を失いつつあることを示している。その意味では「越境」しているのは実は人間の側かもしれない。

 自然には「近い自然」と「遠い自然」の2種類があり、そのどちらも大事だ、ということを動物写真家の星野道夫氏が述べている。日本のように身近にあって人々の生活にかかわるような自然に対して、広大なアラスカでは人間の営みとは別に、ただそこにあることに意味のある自然があるという。実際、アラスカに暮らす人のほとんどはカリブーの季節移動もオオカミの姿も見たことがないのが普通だそうだ。姿を見ることもなく、自分たちの生活とかかわりがなくても、深い森の中で人知れず確かに存在していること、それを心のどこかで意識できることが大事なのだ、と氏は語る(『魔法のことば』文春文庫268頁)。

 森が深ければ深いほど、自然が豊かであればあるほど、野生動物との出会いは少ない。だから、狩猟というのは実はわれわれが思うほど簡単な営みではないのだろう。その因離さから狩猟民の知恵と技、忍耐と謙虚さ、自然への祈りと感謝の念も育まれてきた。しかし、開発にともなう自然破壊、温暖化をはじめとする環境変化、人口集中と都市の拡大、そんななかで、狩猟の存続はおろか、野生が野生であり続けること自体が脅かされている。食料不足から作物を荒らし、ゴミをあさり、ときには餌付けに頼ることで、野生動物本来の距離を保てないケースが顕在化しているのだ。それを「害獣」と呼ぶのは人間の都合に過ぎない。多様な生命との共存について、狩猟民の生き方にあらためて学ぶべきこともあるに違いない。星野氏は生前、本誌にも写真と文を寄せている(13、15-18号1994年-96年)。カムチャッカで、人間との距離を見失ったヒグマに襲われたのは、最後の寄稿からわずか数か月後の1996年8月だった。

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌Arctic Circle 112 巻頭エッセイ 北のモノ・コト・ヒト/2019.9.20)

 

 

2020.5.28

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