カピタンの死

津曲敏郎

 

 「マンガ・バータ!」というのが、カピタン(隊長)が人をほめるときの決まり文句だった。直訳すると「強い男の子」にあたるウデヘ語だが、さしずめ「よし、偉いぞ!」というような語感だ。私がウデヘ梧で「バグジフィ(こんにちは) !」と挨拶したときも、この言葉が返ってきて、この歳で頭をなでてもらったような面映ゆさを感じた。ともあれ、私よりは4歳ほど年上だし、この地ではしょせん大人と子どものような関係であることには違いない。

 ロシア沿海地方を横切るビキン川の中流域にあるクラスヌィ・ヤール村を訪ねるようになって15年になる。この村では日本の環境保護NGOの支援を得て、毎年エコツアー客を受け入れている。村から猟師の操るボートで上流へさかのぼり、河岸のタイガでキャンプするのが、このツアーの呼び物の一つだ。その上流ツアーを先導し、森を案内するのがヤコフ・トロフィーモヴィチだった。ツアーの参加者は尊敬と親しみを込めてカピタンと呼ぶ。もちろん黒澤映画の『デルス・ウザーラ』(1975)で、デルスがアルセーニエフに呼びかける場面を、眼前の情景に重ねていることは言うまでもない。森と川を知り尽くし、同行の若い猟師たちに的確な指示を与え、ツアー客をエスコートする姿は、まさしくカピタンと呼ばれるにふさわしいが、むしろデルスその人をも彷彿とさせた。厳しいタイガで生き抜く知恵とわざを、人なつこい表情の下に読み取ることができた。

 そのカピタンが昨年(2010年)冬、タイガでの事故がもとで亡くなった、と聞いた時は耳を疑った。川の氷が割れて水没したスノーモービルを必死に引き上げ、なんとか帰還したものの、その無理がたたって入院先で息を引き取ったという。氷の厚さを読む感覚を狂わせたのは、ひょっとして忍び寄る温暖化のせいだったそりのだろうか? それともかつて橇(そり)を引いた犬を見捨てなかったように、スノーモービルを置き去りにはできなかったのだろうか?カピタンの死は、私にはデルスの死さながら、現代に生きる少数民族の困難な状況を暗示しているように思えてならない。

 

生前のヤコフさんのインタビュー記事が「タイガフォーラム」のホームページに掲載されています。http://taigaforum.jp/index.php/features/interview/20100711/yakovtrophymovich01/

 

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌Arctic Circle 81/2011.12.22)

 

 

2020.3.27

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