「小さな夢」を引き継ぐ 2. アザラシ猟の記憶

津曲敏郎

 

 思ってもみなかった急逝で、源太郎さんからウイルタ語を教えてもらう機会は失われた。しかし、源太郎さんは自筆のノートを残していて、そこからいろいろ教わることがあった。池上先生の勧めで、思いつく限りのウイルタ語の単語や言い回しをアイウエオ順にカナ書きで記録した8冊のノート「ウイルタのことば」だ。ウイルタ語だけで訳は付いていない。池上先生としては、これをもとにあとで源太郎さんから発音や意味を聞き取るつもりだったようだが、残念ながら遺稿となってしまった。残された言葉を復元すべく、これにローマ字音韻表記と、想定される訳を加えて刊行する仕事を筆者も分担することになった(池上(編) 1986,池上・津曲(共訳解) 1988, 1990, 1991なお池上(編) 1986:71-74にはこの遺稿の解説とウイルタ語による源太郎さんへの追悼の言葉がある)。この作業には、網走在住のウイルタの女性から助力を得た。「ゲンタロウ、何書いたもんだか」と言いながら、相手をしてくれた。

 イで始まる単語を見ていたときのこと、ii-「入る」という動詞の変化形が列挙されていて(池上・津曲(共訳解)1988:47 原ノート新No.1:91 写真参照)、「彼は入ったかしら、彼らは入ったかしら、彼は入ったんじゃないか、彼らは入ったんじゃないか」という意味のウイルタ語のあとにいきなり、「立って銛で刺せ」という語句が来て面食らった。「立つ」という動詞(ili-)もイで始まるので、全くの場違いではないが、「入る」の変化形を並べていたはずなのに、と思ったら次でまた「入るぞ、はやく銛で刺せ」と「入る」に戻ったものの、いったい何が「入る」のか、なぜ「銛で刺せ」なのか、不可解だった。「入るぞ、はやく漕げ」「入ったね、惜しいな」と続くのを見るに及んで、三人称語尾だけで標示されている主語が、実はアザラシだったことに気づいた。この部分を書きながら源太郎さんの頭の中には、サハリンでのアザラシ猟の記憶が鮮明によみがえっていたのだ。冬季間、氷の穴や隙間から呼吸のためにアザラシが顔を出すのを銛を手にじっと待ち構えるのが、ウイルタの伝統的猟法である。無機的な変化形の羅列でしかない、と思っていたところに、思わぬ過去の記憶を垣間見たことに感激するとともに、生き生きとした狩人の息づかいや望郷の念のようなものまで読み取れて、話者が母語で記録することの意味にふれる思いがした。

(初出:平成29年度企画展 永遠のジャッカ・ドフニ:北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニの35年間 展示記録と文集 2018.3.31)

2020.3.17

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