野口泰弥

 

本紹介 『シベリアで生命の暖かさを感じる』佐々木史郎/臨川書店

 

 本書はフィールドワーク選書の第13巻として、シベリア研究の第一人者である著者のフィールドワーク経験が綴られている。

 文化人類学における一般的なフィールドワークは20世紀前半にポーランド出身の人類学者、B・K ・マリノフスキーによって広められた。彼が定式化していった人類学的なフィールドワークとは、単独で長期間、調査地に住み込み、現地の人々のモノの見方を理解するものである。このようなフィールドワークは過去1世紀にわたり人類学を推し進める強力なエンジンであった。

 しかし、読者は、このような王道的なフィールドワークと、著者のフィールドワーク経験の差異を発見するだろう。本書で描かれる著者のフィールドワークは比較的短期間のものであり、また、NHK取材班の同行であったり、異分野の研究者たちとの共同調査であったりする。これが本書の特徴の一つであり、限られた期間で独創的な研究を行うヒントが含まれている。

 また本書のもう一つの特色は、以下に紹介するように、著者のライフヒストリーの形で話が進められる点である。ロシア語を学び始めた青年が、悪戦苦闘しながら研究者として自己形成していく過程は、北方研究者でなくとも参考にすることができるだろう。

 本書は5章構成であり、第1章では高校時代の著者とロシア語との出会い、ソヴィエト民族学と構造主義人類学の比較を行った学部の卒論研究が中心に語られる。著者がロシア語と人類学の関心を結びつけたのは、後に当館初代館長となる大林太良の授業がきっかけだったという。第2章では修士課程入学後から、著者が現在も勤務する国立民族学博物館で働き始めた頃までが語られる。当時は冷戦のため、シベリアでの調査は望める状況ではなかった。著者は文献研究により西シベリアのトナカイ遊牧民であるネネツを対象に修士論文を仕上げ、博士課程に進学するが、フィールドワークに行けない人類学者としての焦りや苦悩は想像に難くない。しかし、博士課程在籍中に著者は最初のフィールドワークを経験する。野外民族博物館リトルワールドの依頼でフィンランドのサミの資料収集調査を行うのである。この調査の翌年に国立民族学博物館の助手として採用され、著者は職業研究者としての道を歩みだす。そしてその2年後にはNHK取材班への同行という形で念願のネネツの地に足を踏み入れることになる。

 第3章では当館の設立にも深く関わられた黒田信一郎氏のプロジェクトに参加し、内モンゴルのエヴェンキを対象にした「壮絶なフィールドワーク」が綴られる。連日の雨、泥まみれの宿舎、牛糞、馬糞の散乱、連日連夜の大宴会、激しい発熱に二日酔い。誰もがニャリとしてしまうに違いない、フィールドワークの現実が描かれる。

 続く第4章、第5章ではソ連崩壊後、別のプロジェクトに参加し、サハ共和国で行った計4回のフィールドワークが語られる。高度に発展した野生トナカイ狩猟と猟師との交流、世界有数の寒冷地での防寒、特に化学繊維にも勝る毛皮の解説は非常に興味深い。

 本書に一貫して見られる物質文化への関心は、博物館員でもある著者の研究の特徴の一つである。本書を通じて読者は、過酷とされる北方の自然と、そこで暮らす人々のあたたかさを知るだろう。しかし、本書の「暖かさ」はそれだけではない。時に失敗し、悩み、二日酔いになりながら成長していく生身の研究者の姿にも人間っぽいあたたかさと人類学的研究の面白味を感じて頂けるに違いない。本書は読み物としても面白く、研究者を目指している方、学生、フィールドワーカーなど、広く一般におすすめしたい。

 

※著者の佐々木史郎氏は現在国立アイヌ民族博物館館長です。

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 96/2015.9.25)

2020.4.4

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